それでも年は明ける
あけましておめでとうございます。
2011年の初日の出を拝んだのは、外房線の上総一ノ宮付近。京葉線に残る201系のうち1本が毎朝、外房線の勝浦と東金線の成東から東京へ向かう。この年末年始の休みはおもに京葉線の201系を撮って過ごした。
年を越したのも201系の車内。中央線で一緒に201系を追った仲間たちと連れ立って東京駅から乗った。葛西臨海公園停車中に日付が変わり、間もなく車中からはTDRの花火が見えた。この編成(K3+53)はそのまま終夜臨運用に入り、朝まで東京〜蘇我間を往復し続けた。
京葉線に残る201系は4編成。最盛期に比べて数は減ったが、少なくとも2編成が毎日必ず運用に入っている。上で紹介した成東・勝浦発着の電車(途中の誉田〈ほんだ〉で連結・切り離し)は201系しか入れない。近いうちにE233系に置き換えられるのは確実なので、今のうちに悔いの無いように記録しておきたい。
元日の夜から出直して、きょう(2日)の午前中は再び京葉線の201系を撮っていた。大網では、まだ寝ている201系4両が外房線ホームから見える。
まだ真っ暗な東金線へ、ひと気のないホームを発車していく。
夜が明けてからぼちぼち撮ってみたが、どうも調子が良くなかったので東京駅の京葉地下ホームでしばらく粘った。
先月のダイヤ改正から京葉線の上総一ノ宮行きが増発されたが、209系の充当は珍しい。201系との並びも、目にするのは最初で最後かもしれない。
なお、4編成残っている201系のうち動向が注目されているのが「K1+51」である。この編成は東京寄り6両の行先表示に不具合があるようで、「京葉線」に表示が固定されている。このため、京葉線外に足を延ばす成東・勝浦発着の運用には入らない。ここ半年ほどは走った日自体が少なく、すでに貴重な存在だ。
夜は誉田へ、再び切り離し作業を撮りに行った。
前4両の成東行きが先に発車していき、勝浦行きの6両が残る。
平日は通勤快速勝浦行きだが、休日は単なる「快速」となる。
帰りがけに蘇我ではK1+51を再び撮影。ちょうどヘッドマーク付きのE233系、上総一ノ宮行きと並んだ。
京葉線は201系、205系、209系、E233系、E331系が混在し、撮っていて非常に楽しい。今後はそう頻繁には行けないだろうけれど、201系を中心に今後も出来る限り撮っていこうと思っている。
暮れてゆく
一昨年、昨年と年末には私家版「10大ニュース」を綴っていたが、今年はやめておく。今年は「1位」のインパクトが大きすぎたからである。その1位というのは、中央線201系の引退。中央線を30年間走り続けてきた、オレンジ色の電車が消えた。今年、私は元日から引退の日までの間、多くの時間を費やして201系を追いかけた。
中央線201系の2010年には、はっきりとした“起承転結”があった。
【起】1月1日
元日未明の終夜運転。充当される電車の本数が少ない中で、生き残りの201系H4、H7両編成は揃って抜擢された。前後数十日間の流れを見ていると、所定のローテーションで偶然そうなっただけのようにも見えた。しかし、これは関係者の方々の粋な計らいだったのだろうと思う。
これ以後、JR東日本八王子支社による201系関係のキャンペーンが多数展開される。昨年の中央線120周年キャンペーンの流れをくんだものと思われるが、特に2月1日は「201系の日」と銘打って記念入場券発売や電車へのハート形ステッカー貼り付けなど、さまざまな企画が実施された。
【承】3月13日
3月ダイヤ改正で中央線の新ダイヤは三鷹〜国分寺間の完全高架化を反映、武蔵小金井の折り返し復活により平日の運用が2つ減った。この「2つ」が意味するのは、2編成残った201系の第一線からの撤退だった。“最後の晩”を武蔵小金井で迎えたH4は改正翌日に豊田へと回送され、H7と並べられた。すでにH4の「さよなら運転」が4月11日から始まることは決まっており、201系が通勤電車として通常の運用に入ることはないかと思われた。
【転】4月27日
H4は4月に入り、中間の4両を抜いて6両で「さよなら運転」を実施、富士急行線や五日市線に入った。一方で、来る日も来る日も豊田で眠り続けていたH7が4月27日朝、復帰した。何事もなかったように回送で八王子へ向かい、通勤客を満載して東京駅へ。中央特快、青梅特快……自慢の大型電照幕を掲げて走る姿を見ていると、1ヶ月半のブランクが嘘のようだった。
そして6月20日、H4は最後の「さよなら運転」を済ませ、長野へと回送され廃車解体された。
ついに最後の1編成となったH7は冷房故障などのトラブルに次々と見舞われながらも、普段の通勤輸送と「さよなら運転」を両立し、走り続けた。当初の発表資料では引退時期が「今年夏」とされていたが、結局H7は10月14日まで通常運用に身を捧げた。
【結】10月17日
運用復帰から約半年。H7は10月17日、中央線を後にした。豊田駅には数百人のファンや地元の人々が見送りに訪れた。新幹線でも、ブルートレインでもないのに、多くの人々がオレンジの電車を最後に一目見ようと集まっていた。こんなにも親しまれていた電車だったとは――その場にいて、目頭が熱くなった。H4と同様に最後のさよなら運転を経て、H7も長野で廃車解体された。1979年8月20日、三鷹駅でのデビューから31年4ヶ月。201系が支えてきた、中央線の一つの時代が終わった。
それからの2ヶ月半、私はともすると無気力に陥りがちだった。東北新幹線の全線開業など鉄道ファンとして心躍る話題も無いわけではなかったが、やはり自分の中の「主役」が去ったことによる喪失は大きかった。
気持ちを切り替えて、前に進もうとは思っている。新しい年を迎えるにあたり、何かまた熱中できるものを見つけたい。だが、もうしばらく充電期間が必要かな、と自分では思っている。京葉線の201系や、中央線のE233系を撮ったりしながら、当分は英気を養いたいと思う。
中央線の201系を通じて、多くの人に出会えた。そうした人々との「つながり」は今も生きているし、これからも大切にしていきたい。そういう意味でも、私にとって大きな1年が終わろうとしている。このブログの更新もしばらくは低調な日々が続くだろう。だが、新しいテーマを見つけて更新を続けていきたい。
お読みくださっているみなさんにとって、来たる2011年が、良い年でありますように。
仄かなスカイブルー
中央線E233系の高架化ヘッドマークは掲出が終わり、仕事納めをして少し時間も出来たので京葉線の201系を撮ってきた。
きのうはK1+51編成が運用に復帰しており、蘇我では201系同士の並びを見ることもできた。
夕刻の誉田では、今年最後の「通勤快速」成東・勝浦行きの切り離し作業を撮影。そのまま後ろ6両の勝浦行きに終点まで乗車した。
勝浦到着後、車内清掃から入換までたっぷり撮影できる。右手の「おみやげ」の看板が、夏のにぎわいを思い起こさせる。
入換は踏切から撮影した。暗闇の中を通り過ぎるスカイブルーの車体の色は仄(ほの)かな青というよりも、むしろ白く見える。
寝顔を撮影したところで夜の部は終了。そして翌朝――
誉田での連結作業も撮っておいた。天気が良ければもう少し京葉線を撮って帰りたかったのだが、どんより曇ってしまった。また年が明けてから出直すことにしたい。
Last Christmas
♪Last Christmas, I gave you my heart...
テレビから流れてきたWham!の名曲"Last Christmas"を聴いて、昨年のクリスマスイブを思い出した。
2009年12月24日、201系H4編成は57T運用だった。すでにオレンジ色の電車は残り2編成の希少な存在となって久しかったが、新宿をクリスマスの午前1時01分に発車する「シンデレラ各駅停車」はこの電車だった。
そしてオレンジの電車は、私の家の近所の三鷹車両センターで短い眠りについた。三鷹に住む私にとっては、さながら中央線からのクリスマスプレゼントだった。
「来年の今ごろは、もういないんだろうな……」と思いながら撮っていたのを覚えている。
朝4時過ぎの出庫は、電車区の裏から見送った。
このとき予想していた通りに201系H4編成がこの世を去って、半年になる。もう今年は同じクリスマスプレゼントをもらうことはできない。でも、このときの写真に写っているH4の「形見の品」は、今も私の部屋にある。そこまでは、当時の私も予想していなかった。
「オレンジ後」の日々
中央線から201系が消えて、2ヶ月になろうとしている。毎日せわしなくオレンジ色の電車を追いかけていたころと比べると時間のゆとりが出来て、後回しにしていた身のまわりの雑事もずいぶん片付いたのだが、やはり失ったものは大きい。
このところ何度か遠出している。しかし本格的な「鉄」活動からは程遠い。
東北新幹線は全線開業初日に新青森まで乗った。しかし強風で大幅遅延し、当初乗る予定だった五能線は断念。翌日は弘南鉄道大鰐線に乗った。
また先日は非鉄の用事で九州に帰省したついでに福岡近郊区間の「大回り乗車」をしてみた。南福岡では415系の増結に遭遇。この車両、九州ではまだまだ元気だ。
あいにくの天気で、1日8本しかない原田→桂川に乗り終わった頃には暗くなっていた。福北ゆたか線813系のブラックフェイスもイイネ!
東京近郊では、201系の最後の牙城となった京葉線にも行った。
平日朝の蘇我での201系並びも、ダイヤ改正で消滅。201系自体の過去帖入りは近い。
中央線にも変化がある。まずは西国分寺〜立川間の上り線が高架化され、開かずの踏切が多数解消した。
E233系のT5、T29両編成には記念ヘッドマークが装着された。一度だけ、三鷹の夜間留置があったので撮りに行ってきたが、冷たい雨に凍えながらの撮影となった。
偉大な「主人公」を失ったいま、私自身の趣味も、このブログも、まだまだ方向性が定まらない。