2010-01-01から1年間の記事一覧

暮れてゆく

一昨年、昨年と年末には私家版「10大ニュース」を綴っていたが、今年はやめておく。今年は「1位」のインパクトが大きすぎたからである。その1位というのは、中央線201系の引退。中央線を30年間走り続けてきた、オレンジ色の電車が消えた。今年、私は元日から…

仄かなスカイブルー

中央線E233系の高架化ヘッドマークは掲出が終わり、仕事納めをして少し時間も出来たので京葉線の201系を撮ってきた。 きのうはK1+51編成が運用に復帰しており、蘇我では201系同士の並びを見ることもできた。 夕刻の誉田では、今年最後の「通勤快速」成東・勝…

Last Christmas

♪Last Christmas, I gave you my heart... テレビから流れてきたWham!の名曲"Last Christmas"を聴いて、昨年のクリスマスイブを思い出した。 2009年12月24日、201系H4編成は57T運用だった。すでにオレンジ色の電車は残り2編成の希少な存在となって久しかった…

面影

中央線高架化のヘッドマークを付けたE233系は、今もなお走り続けている。きょうは1日5本だけの「通勤特快」に入ったので撮ってきた。 全然ちがうようで、やっぱりどこか似ている――そんな気がするのは、私だけだろうか。E233系の活躍も5年目に入ろうとしてい…

「オレンジ後」の日々

中央線から201系が消えて、2ヶ月になろうとしている。毎日せわしなくオレンジ色の電車を追いかけていたころと比べると時間のゆとりが出来て、後回しにしていた身のまわりの雑事もずいぶん片付いたのだが、やはり失ったものは大きい。 このところ何度か遠出し…

最期

10月17日のラストランは中央線201系の“最後”ではあったが、201系H7編成の“最期”ではなかった。

オレンジの残像

初めて中央線に乗ったのは、1998年の3月10日だった。当時、私は18歳。大学の合格発表を見に上京した私は、結果を確認して安堵すると、昼下がりの御茶ノ水からふらりと下りの快速電車に乗り込んだ。東京の土地勘ゼロだった私は漠然と、当時読んでいた本の影響…

有終、信濃路に散る

中央線を31年間走り続けたオレンジ色の電車が17日、最後の日を迎えた。 最後まで生き残った201系H7編成を出迎え、そして見送るために豊田駅に集まった、おびただしい数の人々。大歓声に迎えられて入線するH7を撮っていると、それだけで胸に込み上げてくるも…

休息のとき

201系H7編成、きょうは出てこなかった模様だ。いよいよ、最後の時を待つばかりなのか。 「さよならキャンペーン」の期間も長かったけれど、本当の「さよなら」は目前だ。もう、この場所にもオレンジ色の電車は二度と来ない。昨夜のこの瞬間が、1979年8月に20…

追い込み

201系がいつものように中央線を走るのも、そろそろ最後だ。 出発の地・三鷹駅。思い出の場所にも別れの時が迫る。 コピス吉祥寺開業の日、201系H7編成はどこでどうしているのだろうか。 昨夜はちょっと奮発して、立川駅隣接のホテルに宿泊した。 * * * け…

落ち穂拾い

数日前のことになるが、こんな写真を撮った。出来の良し悪しはともかく、ずいぶん前から撮りたかった「宿願」の写真である。 東京行きの電車は、御茶ノ水を出ると右にカーブする。前のほうの車両に乗っていると、ある瞬間、右手にあるガラス張りのビルから、…

至福の午睡

きょうは201系H7編成が午後は走らず、武蔵小金井で昼寝していた。 休日の午後、しかも比較的撮りやすい位置にいたので、電車区裏の柵沿いは大盛況である。 ひとしきり撮って帰ろうとしていたときに、前面の洗浄作業が始まった。いつになく、作業が念入りだっ…

変わりゆく街で

その日も、君にはこの街を見守っていてほしいけれど―― 吉祥寺の伊勢丹跡地はH&Mになるという話もあったが、結局は「コピス吉祥寺」という複合商業施設が出来ることになった。まさか、その時期まで中央線に201系が走っているとは思っていなかったが、いよいよ…

不夜城の端で

夕刻の新宿大ガード。ここを彩り続けてきたオレンジ色の電車も、消え去ろうとしている。 きらびやかな看板の数々。おびただしい数の人や車の波。そんな風景の中で圧倒的な存在感を放つ201系。 新宿の「当たり前の風景」も過去のものになろうとしている。その…

片目

201系H7編成はここ4日間毎日走っているが、いろいろと不具合は後を絶たないようだ。ヘッドライトの電球なんて消耗品だし、片方のライトが切れている姿はこれまでも何度か撮っている。それでも、このところ幕のトラブルや冷房の故障などが続いているだけに、…

記憶の糸

201系H7編成は早朝からあっさり復帰し、79T運用に入っているという情報を得たので撮りに行った。 ――と言ってご紹介するのは3年前の画像である。2007年11月のある朝、私はきょうと同じように三鷹駅で201系を撮っていた。79T運用の各駅停車青梅行き。ただしこ…

我が目を疑う

このところ台風やら何やらで中央線のダイヤも乱れがちだが、201系H7編成は毎日元気に走っている。 さよならキャンペーンのカード集めを兼ねて武蔵小金井で降りて1枚。右手に見える上り線の工事もずいぶん進んでいる。 小高い丘の上から、八王子〜豊田間の浅…

その日まで

山から下りてゆく君を小高い丘から見下ろしてみたり―― 夜の駅に進入する君をカーブの先で待ち構えたり―― 深夜のお濠端にたたずむ君を遠くから見つめていたり―― 今夜のねぐらに向かう君を、家の近くで見送ったり―― どんな形で君を見ていても、まだ信じられな…

すれちがい

きょうは、夕方に多摩川へ行ってきたのだが―― 201系H7編成の下りが来たときに、上りのE233系が丁度やってきてしまった。しかし、これはこれで2枚とも狙って撮れるものでもないし、なかなか面白いタイミングですれちがってくれたと思う。「世代交代」の時期も…

中央特快

中央線のオレンジ色の電車。ブラックのマスクの下に燦然と輝く「中央特快」の表示がある。 「中央特快」のネーミングは魅力的だ。4つの漢字を "Chu-o-tok-kai" と4音節で読んでしまう語感が速達種別にふさわしい。たまに、そばで写真を撮っている子どもたち…

Beautiful Days

この夏は中央線のオレンジ色の201系と、京葉線のスカイブルーの201系をいろいろと撮ってきた。 しかし、中央線を走るスカイブルーの201系を撮ったのは、21日が最初である。これは22日に豊田車両センターで開かれたイベントで色違いの201系を並べて展示するた…

1本だけ

東京駅からの「快速河辺行き」は1日1本。休日の日中に設定されていた時期もあったのだが、今では平日朝のみ。朝6時半過ぎで、冬には走行を撮ることがむずかしくなる。 2007年にH1編成が入ったときに高円寺で一度撮ったことがあったが、画質も悪く撮りなおし…

一日がかり

「撮り鉄」なんて、自分には絶対無理だろうな、と思っていた。かつて私にとって列車の写真というのは「乗るついでに」撮るものだったし、撮るためだけに時間を使うのはもったいない、という思いがあった。しかし、人間とは変わるものである。 特段自慢できる…

思い起こせば

今からほぼ1年前、2009年8月14日の早朝。私の目の前でちょっとした「事件」が起こった。 三鷹車両センターで、4時32分の初電として出発する準備をしていた201系H4編成が支度をやめて、そのまま眠ってしまった。 故障のせいか動けずにいたH4は昼過ぎにようや…

複雑怪奇な停車駅

中央線の停車駅というのは複雑怪奇である。まずはオレンジ色の快速電車と、黄色の各駅停車がある。しかし、深夜になるとオレンジ色の電車が各駅停車で走るようになる。早朝も同じだ。 昼間の快速電車は、中野以西では各駅停車となる。しかし土曜・休日は高円…

ばらばらに

最近の撮り方はとりとめが無さすぎて、どうもブログ記事にうまくまとめられない。順不同でご紹介する。 中央線の201系H7編成は、8月に入ってからもほぼ毎日走っているようだ。先月「さよなら運転」を一度やったのに、さよならする気がありそうには見えない。…

まほろばの里

7月の最終週は中央線の201系H7編成がほとんど走らなかった。だからというわけではないが、土曜日から関西に行ってきた。 関西の201系は数が多いから、あまりガツガツ撮る必要はない。しかし、行先表示のバリエーションが豊富なのは東西共通だ。朝夕にしか運…

そして日常へ

きのう「さよなら運転」で甲府方面に出かけた201系H7編成。何事もなかったかのように、きょうは通常の運用に入っている。 H4はダイヤ改正以後「さよなら運転」専属になってしまったが、H7はそうではないようだ。このまま、長野に行く直前まで、いつも通り走…

世界はなんのために

中央線で最後に残された201系H7編成も、ついに「さよなら運転」が始まってしまった。今回私は、またしても車で追いかけた。深夜まで仕事のあと寝不足のまま、12時間にわたって車の運転と写真撮影を交互に繰り返すのは決して楽ではないのだけれど、これがたま…

空と海の色

きょうは海の日。京葉線には、海のある風景を電車と絡めて撮れるところがいくつかある。 このところ中央線の201系H7編成も日によって走ったり走らなかったり。走らない日を中心に、京葉線方面に「色違い」を訪ねている。 夕方の成東・勝浦行きの走行を外房線…