オレンジの落日

 私が東京に住むことが決まって、最初に乗ったのが中央線だ。今から12年前、それが私と201系の出会いだった。1998年3月10日の午後、御茶ノ水から吉祥寺まで。そのとき乗ったのが、どの編成のどの車両だったのかは知る由もない。
 乗り物好きは子どものころから一貫しているけれど、私の中で鉄道趣味が復活したのは最近のことだ。そのなかで、日々利用する201系も好きになっていった。連日ダイヤが乱れて困りものの中央線だが、それを支えるオレンジ色の四角い電車はどこか愚直な感じで、なんだか憎めない。ほかの路線が次々とステンレス車に更新されていく中で、中央線だけは21世紀に入っても国電が第一線で活躍していた。私と同じ1979年生まれだというのも、愛着を深めた理由の一つだ。
 一度中央線沿線を離れた私は、E233系が登場する直前の2006年秋に三鷹に戻ってきた。圧倒的な存在感を誇るオレンジ色の電車が少しずつ消えていくのを見ているうちに、それを記録に残したいと思う気持ちが強まっていった。その気持ちがどんどん高じて、3年前は走っている電車が撮れなかったはずの私は、デジタル一眼を一日たりとも離さない生活を送るようになっていた。
 3月12日、私の「201系を追いかける日々」も区切りを迎えた。いまだに正式な発表はないけれど、2編成だけ残された201系は、ダイヤ改正以後一度も営業運転しておらず「予備車」扱いになったとされている。仕事は忙しいから時間はどんどん流れていく。この忙しい仕事の傍らでどうやってあんなに201系の写真を撮っていたのか自分でも不思議な気がしている。

 まだ「さよなら運転」が残されている。特に、その後半の概要は発表されていないから断定はできないが、オレンジ色の201系が東京駅に行くことはもう無いのかもしれない。多種多様な行先と種別を誇る中央線快速電車でいちばんありふれた行先が「東京」だった。それが無くなったということは、中央線201系にとっての「日常」が終わったということにほかならない。

 彼らの「最後の日常」を追い続けてきたこのブログをどうするか、実のところ方向性はまだ定まっていない。もちろん「さよなら運転」は取り上げていくつもりだし、彼らの兄弟が活躍する京葉線大阪環状線大和路線なども見ていきたい。だが、おそらく201系だけにこだわることなく、もっと多面的な内容にしていきたいと思っている。旅行記や、随筆めいた文章なども書くかもしれない。当然のことながら、更新頻度は下がる見込みだ。
 今まで見ていただいた方々のご期待に添えるかどうかわからないが、新年度はいろいろと手探りで書いていきたいと思っている。