胡蝶之夢

 201系H7編成は、やはりきょうは出てこなかったようだ。夜に中央線の車内から見たら、昨夜と同じ場所に寝ていた。
 高校の国語の授業で荘子の「胡蝶之夢」という漢文を習った。私は蝶になった夢から覚めたのか、それとも蝶の私がいま夢を見ているのか、というやつだ。まさにそんな感じで、201系H7編成が走っていた3日間が夢だったのか、それとも走っていない今が夢なのかと疑いたくなる。

 復帰初日は、奇しくも私の誕生日だった。もう二度と通常の営業運転に入ることはないかもしれないと思っていたH7が朝6時過ぎに目を覚まし、出発の準備をするところを目にすると、さすがに感慨深いものがあった。

 最初の2日間は天気にこそ恵まれなかったものの、朝の通勤客を満載して都心に向かうという本来の姿を見ることができたし、また実際にその満員電車に乗ることもできた。思えば201系はこの中央線の通勤輸送のために生まれ、何をおいてもこの過酷な任務に徹してきた電車ではなかったか。「さよなら運転」も魅力的だが、やはり通勤電車であってこそ201系は201系だし、その姿は私にとってどんな電車よりもカッコいい。

 変わりゆくのは電車だけではない。慣れ親しんだ吉祥寺の街も変化の波の真っただ中にある。201系が来なかったひと月半の間に、駅ビルの「ロンロン」は「アトレ」に変身した。伊勢丹も消え、H&Mが出店するという。昭和から平成へ、国鉄からJRへ、20世紀から21世紀へ……いくつもの時代の境目を中央線で見守り続けてきた201系は、この活気あふれる街の姿の変貌も見逃さなかった。

 麗しいオレンジ色の電車。時代の流れには逆らえないけれど、私はやっぱりこの電車が好きだ。そのことを実感した、夢のような3日間だった。