回顧2008〜中央線・青梅線の一年〜その3

 きょうは2・3位。いろいろと胸の痛む出来事があった。

2位:青編成一斉置き換え、201系青編成は全滅

 2008年を迎えた時点で、中央線はE233系が201系の数を大きく上回り、まだ201系が幅を利かせる青梅線はオレンジ色の電車の「楽園」のように見えた。しかし、それも長くは続かず、2月19日に201系からE233系への一斉置き換えが実施される(写真左は11日の青梅駅、右は19日の古里駅)。

 梅のイラストがあしらわれた「青梅・五日市線」のステッカーを掲げた201系は中央線と同じオレンジ色ながら、もともと中央・総武線の黄色い各駅停車として活躍した電車だ。その落日は、あまりにあっけないものだった(写真左は2月19日、青7編成の車内にて)。この日以後も五日市線では6連の201系青編成がしばらく活躍するが、どの編成もやがて中央線の201系と同じように列車番号「9941M」で長野への帰らぬ旅に出ることになる(写真右は4月24日、相模湖)。

3位:中央線の車両不足深刻化、E233系組み換え発生

 中央線・青梅線ともE233系の増備が完了する一方で201系は廃車が進められ、それも今年の6月でほぼ一服した。ところが、夏から秋にかけてE233系がたて続けに営業運転を離脱し、中央線では予備の編成が底をつくという事態が発生する。中央線の平日朝ラッシュ時には58編成が必要で、E233系58編成と201系2編成でこれを賄うので、2編成が離脱すると予備がない。
 8月28日の高尾駅の豪雨でT35編成が離脱、10月18日の人身事故でH52編成が離脱(付属編成側10号車が破損)。さらに同21日にはH44編成の付属側が富士急線内で故障を起こしたという。このままでは翌22日の朝ラッシュは一部電車の運休が必至と思われた。しかし、朝から駅で上り電車を観察していると、間引かれそうな運用もダイヤ通り上ってくる。そうこうするうちに、10号車の前面が壊れたはずのH52編成が11H運用で登場した。変だぞと思って、通過していく側面の車番を見ていくと「52、52、52、252、252、510」「510、610、610、44」振り返ると10号車はH44編成だった。
 H52編成の破損した10号車だけをH44から拝借して組み替えるという、驚愕の打開策だった(写真は左右とも同日朝、国分寺)。10号車のH44は川崎重工製(写真左側)、H52は東急車輛製(同右側)で、連結部の側面にははっきりした違いが見て取れる。この変則編成による運転は1週間近く続いた。
 ちなみに、翌23日にはT2編成が東京総合車両センターに入場、入れ違いにT35が営業運転に復帰するという、綱渡りの車両繰りが続いた。運用に穴があかぬよう努める現場の苦労は大変なものだと思うが、その半面、企業としてのJR東日本の見通しの甘さを露呈したようにも思える。201系からE233系への置き換えに伴って車両数を減らし効率的に管理することを目論んでいたようだが、まずは着実に毎日の電車を走らせることをしっかり考えてほしい。

 なお、これ以前にも車両の不具合で、メーカーの異なるH50編成とH53編成が基本6両・付属4両の組み合わせで営業運転に就いたことがあった(写真は7月10日、三鷹駅)。しかし貫通部分を切り離しての組み換えは、E233系では上の例が初めてと思われる。