30年ひと昔(※21日に追記)

 国電中央線で試運転を続けていた新型の省エネルギー電車が、20日から同線の快速電車としてお客を乗せての営業運転をはじめた。

(1979年8月20日朝日新聞夕刊社会面)

 今から30年前のこの日の10時41分、この場所から、201系は歴史を刻み始めた。けさは有志による即席撮影会が三鷹駅で開催された。一応念のためことわっておくと、右が「省エネ電車」201系である。

 この日は午前10時34分から三鷹駅5番線ホームで出発式。同電車の車体はこれまでの中央線快速電車と同じダイダイ色だが、前の部分は運転席の周囲が真っ黒。そのすぐ下に「省エネ201」のヘッドマークが下げられており、カメラを手にホームを埋めた鉄道ファンたちから「パンダが舌を出したようだ」との声。

(同、毎日新聞夕刊社会面)

 この記念すべき日に備えて、某図書室で30年前の新聞記事をいろいろと縮刷版から引っ張り出しておいた。新聞各紙とも出発式の行われた三鷹駅5番線の写真を掲載しているが、ホームの雰囲気は今とほとんど変わっていない。
 各紙の見出しは、

  • 省エネ電車“発車”(1979年8月20日朝日新聞夕刊)
  • 省エネ電車発車(同、日本経済新聞夕刊)
  • 省エネ国電スタート(同、毎日新聞夕刊)
  • 「省エネ電」来りて“戦後”終点(1979年8月21日、読売新聞朝刊)

となっており、「省エネ」に対する当時の期待の大きさをうかがわせる。

 新型電車の特徴は不要の電力を架線に返すなど新しい仕組みになっているため電力消費量が少ないこと。通常の電車より30〜40%少ない電力ですむため、中央線の東京〜高尾間1往復で電気代が6000円浮くという。さらに扇風機をやめてファンにしたり、座席をブラウン系の落ち着いた色にするなど、国電のイメージをガラリと変えた自信作。

(同、日本経済新聞夕刊社会面)


 私と同じ1979年生まれの201系。30年というのは一つの区切りではある。しかし、それは終わりでもなんでもない。これからも、いつまでも元気に走り続けてほしい。走り続けるかぎり、私はいつまでも応援する。

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【以下、21日に追記】
 午後にも201系H7編成が三鷹駅5番線に入る機会があった。しかし、このときは「30周年」狙いで来ていたのは私だけのようだった。

 30年前の新聞記事の写真はほとんど5番線のホーム上から撮っていたので、それにならった。
 昭和から平成へ、国鉄からJRへ、そして20世紀から21世紀へ。少しずつ姿を変えながら走り続けてきた中央線の201系は乗客を日々満載し、その使命をまだまだ果たし続けている。
 そんなことを考えて、30年前の一番電車に思いを馳せ、201系に揺られて仕事に向かった。