暮れてゆく

 一昨年、昨年と年末には私家版「10大ニュース」を綴っていたが、今年はやめておく。今年は「1位」のインパクトが大きすぎたからである。その1位というのは、中央線201系の引退。中央線を30年間走り続けてきた、オレンジ色の電車が消えた。今年、私は元日から引退の日までの間、多くの時間を費やして201系を追いかけた。
 
 中央線201系の2010年には、はっきりとした“起承転結”があった。

【起】1月1日


 元日未明の終夜運転。充当される電車の本数が少ない中で、生き残りの201系H4、H7両編成は揃って抜擢された。前後数十日間の流れを見ていると、所定のローテーションで偶然そうなっただけのようにも見えた。しかし、これは関係者の方々の粋な計らいだったのだろうと思う。
 これ以後、JR東日本八王子支社による201系関係のキャンペーンが多数展開される。昨年の中央線120周年キャンペーンの流れをくんだものと思われるが、特に2月1日は「201系の日」と銘打って記念入場券発売や電車へのハート形ステッカー貼り付けなど、さまざまな企画が実施された。

【承】3月13日


 3月ダイヤ改正で中央線の新ダイヤは三鷹国分寺間の完全高架化を反映、武蔵小金井の折り返し復活により平日の運用が2つ減った。この「2つ」が意味するのは、2編成残った201系の第一線からの撤退だった。“最後の晩”を武蔵小金井で迎えたH4は改正翌日に豊田へと回送され、H7と並べられた。すでにH4の「さよなら運転」が4月11日から始まることは決まっており、201系が通勤電車として通常の運用に入ることはないかと思われた。

【転】4月27日


 H4は4月に入り、中間の4両を抜いて6両で「さよなら運転」を実施、富士急行線五日市線に入った。一方で、来る日も来る日も豊田で眠り続けていたH7が4月27日朝、復帰した。何事もなかったように回送で八王子へ向かい、通勤客を満載して東京駅へ。中央特快、青梅特快……自慢の大型電照幕を掲げて走る姿を見ていると、1ヶ月半のブランクが嘘のようだった。

 そして6月20日、H4は最後の「さよなら運転」を済ませ、長野へと回送され廃車解体された。

 ついに最後の1編成となったH7は冷房故障などのトラブルに次々と見舞われながらも、普段の通勤輸送と「さよなら運転」を両立し、走り続けた。当初の発表資料では引退時期が「今年夏」とされていたが、結局H7は10月14日まで通常運用に身を捧げた。

【結】10月17日


 運用復帰から約半年。H7は10月17日、中央線を後にした。豊田駅には数百人のファンや地元の人々が見送りに訪れた。新幹線でも、ブルートレインでもないのに、多くの人々がオレンジの電車を最後に一目見ようと集まっていた。こんなにも親しまれていた電車だったとは――その場にいて、目頭が熱くなった。H4と同様に最後のさよなら運転を経て、H7も長野で廃車解体された。1979年8月20日三鷹駅でのデビューから31年4ヶ月。201系が支えてきた、中央線の一つの時代が終わった。

 それからの2ヶ月半、私はともすると無気力に陥りがちだった。東北新幹線の全線開業など鉄道ファンとして心躍る話題も無いわけではなかったが、やはり自分の中の「主役」が去ったことによる喪失は大きかった。
 気持ちを切り替えて、前に進もうとは思っている。新しい年を迎えるにあたり、何かまた熱中できるものを見つけたい。だが、もうしばらく充電期間が必要かな、と自分では思っている。京葉線の201系や、中央線のE233系を撮ったりしながら、当分は英気を養いたいと思う。

 中央線の201系を通じて、多くの人に出会えた。そうした人々との「つながり」は今も生きているし、これからも大切にしていきたい。そういう意味でも、私にとって大きな1年が終わろうとしている。このブログの更新もしばらくは低調な日々が続くだろう。だが、新しいテーマを見つけて更新を続けていきたい。
 お読みくださっているみなさんにとって、来たる2011年が、良い年でありますように。