御役御免?

 3月13日午前1時20分。201系H7編成が眠りにつくのを、豊田車両センター裏で見届けた。

 次に目を覚ましてくれるのは、いつになるのだろうか。
 13日はダイヤ改正の日だった。この改正に伴う中央線201系の処遇については公式な発表がない。しかし、武蔵小金井付近が上下線とも高架化されたことによる車両運用の効率化で、平日朝ラッシュに必要な編成の数は58から56に減った。E233系だけでも2本余る計算になる。この改正をもって201系が中央線から引退することは1年以上前から予想していたから、そうだとしても驚きではない。
 ダイヤ改正に前後して201系が「走り続ける」という情報と、「走らなくなる」という情報が錯綜していた。はっきりしたことはわからないが、おそらく「さよなら運転」を残して「事実上の引退」になるのではないだろうか。そう考えて最後の数日間は時間の許す限り撮り、乗った。

(▲3月11日、東中野
 
 2月は仕事が猛烈に忙しく、3月になったら前述の状況で、早々にリニューアルして再開しようと思っていたこのブログもほったらかしになってしまった。紅白のハートが付いた201系両編成も、あまりご紹介できていない。

(▲2月28日、青梅)
 
 「東京」という2文字のシンプルな行先表示。これこそが201系の、そして中央線の日常だった。もしかすると、もう二度とこの光景を見ることさえできないのかもしれない。そうでないことを願いつつも、私はそれなりの覚悟を決めて改正の日を迎えることにした。最後の数日間はまともに睡眠さえとっていない。

(▲3月2日、四ツ谷
 
 1文字目と3文字目を強調した独特の種別表示幕も、見納めになってしまうのだろうか。

(▲3月7日、上野原付近)
 
 雨に濡れてしっとり輝くオレンジ色も魅力的だった。本線上の2編成の「並び」など、もう望むべくもないのかもしれない。

(▲3月6日、立川)
 
 そしてもちろん、雪も似合うのが201系。何も表示していなくても、種別幕は白い雪の“祝福”を受けてひときわ目立つ。

(▲3月9日、三鷹
 
 雪の中にたたずむ暖色系の電車が醸しだす、なんともいえない温もり。

(▲3月10日、青梅)
 
 最後の最後まで連日ダイヤが乱れて201系の運用も二転三転、五里霧中。そんな中で夜の山線にも登場。

(▲3月11日、四方津
 
 そして改正前夜。201系H7編成は東京駅から出発する高尾行きで、ひとまず区切りを迎えた。

(▲3月12日、東京)
 
 高尾から回送されて豊田へ帰ってきたH7。今後の「余生」をどう過ごすのか、気がかりだ。