有終、信濃路に散る

 中央線を31年間走り続けたオレンジ色の電車が17日、最後の日を迎えた。

 最後まで生き残った201系H7編成を出迎え、そして見送るために豊田駅に集まった、おびただしい数の人々。大歓声に迎えられて入線するH7を撮っていると、それだけで胸に込み上げてくるものがあった。

 今回は私もツアーに参加して、ラストランを堪能した。車内の雰囲気は良く、正直なところ最後という実感はあまり湧かなかった。甲府駅では「モモずきん」のお見送りがあった。

 松本駅までは、本当にあっという間だった。前日に借りておいた車に飛び乗り、長野への回送を追いかける。

 長野駅を出て、長野総合車両センターまでの回送にも、何とか間に合った。最後の長旅の終着地へ入っていく場面を見届けることができた。

 H7は旧型客車の隣で一夜を過ごした。

 眠りに就いたのは20時50分ごろ。一晩中見つめていたかったが、そういうわけにもいかず、翌日出直すことにした。

 

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 昨夜「永眠」したかと思っていた201系H7編成、きょう午後になってまさかの自走での入換を見ることができた。

 その直後に6両と4両に分割され、それぞれ入換が行われた。

 現時点では解体待ちの車両が多いようで、H7がこの世から姿を消すまでには少し時間がありそうだ。だが、H7の姿を再び拝む機会があるとの確証はない。少なくとも、10両連なったオレンジ色の電車を見ることは、もう絶対にないはずだ。
 
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 中央線の、ひとつの時代が終わった。201系が走った期間は31年余り。オレンジ色の電車が走ったのは半世紀。私は、そのうちの12年半しか見ていない。
 だが、私にとって東京生活の象徴が中央線の201系であったことは疑いのない事実だ。鉄道趣味歴も長いとは言えず、初めてデジタル一眼を握ったのは昨年、30歳のとき。それでも、このブログはたくさんの方々に見ていただき、また時折撮影地でお会いした方にお褒めいただくことなどもあった。

 私は鉄道に関しても、写真に関しても、ど素人であることは間違いない。ただ私は物事に熱中しやすい性格だし、ここ2年ほどの間は201系の写真を撮ることに情熱を傾け、自分なりの創意工夫をしようと心がけてきた。出遅れた「葬式鉄」であることを否定するつもりはないが、そんな私の写真とブログに興味を持ってくださる方がいるのは幸いなことだ。
 今後、このブログをどうするか、まったく決めていない。とはいっても、今までに紹介しきれなかった201系の写真も少なからず残っている。当面は、撮りためた写真をじっくり整理しようと思う。その中で、気に入るものがあれば初出・再掲を問わず紹介していきたいと思う。

 201系を追った毎日は、充実した日々だった。それを支えてくれたブログ読者のみなさん、撮影を通じて知り合った仲間のみなさん、そして忘れがたい思い出を数えきれないほど与えてくれたオレンジ色の201系電車に言いたい――心からの「ありがとう」を。