不夜城の端で

 夕刻の新宿大ガード。ここを彩り続けてきたオレンジ色の電車も、消え去ろうとしている。

 きらびやかな看板の数々。おびただしい数の人や車の波。そんな風景の中で圧倒的な存在感を放つ201系。
 新宿の「当たり前の風景」も過去のものになろうとしている。その日まで、あと26日。

片目

 201系H7編成はここ4日間毎日走っているが、いろいろと不具合は後を絶たないようだ。ヘッドライトの電球なんて消耗品だし、片方のライトが切れている姿はこれまでも何度か撮っている。それでも、このところ幕のトラブルや冷房の故障などが続いているだけに、見ているとなんだか居たたまれない感じもしてくる。

 昼間だが、あえて暗い所で撮ってみた。豊田に帰ったら直してもらえるはずなので、きっと今夜か明日には元通りの姿になっていることだろう。最後の日まで、あと28日。

記憶の糸

 201系H7編成は早朝からあっさり復帰し、79T運用に入っているという情報を得たので撮りに行った。

――と言ってご紹介するのは3年前の画像である。2007年11月のある朝、私はきょうと同じように三鷹駅で201系を撮っていた。79T運用の各駅停車青梅行き。ただしここに写っているのはH7編成ではなく、廃車を2ヶ月後に控えたH1編成だ。きょうは逆光がひどかったので、今回のH7の写真はいまいちな出来になってしまった(よって割愛)。

 青梅に着いたH7は回送電車となり、奥多摩方面の単線の線路へと消えていく。

 そして、しかるべき時間調整ののち青梅特快東京行きの表示で上ってきた。

 9月も中旬に入ったが、蒸し暑さは相変わらずだ。多摩川では川面をいっぱい入れて涼しげな写真にしてみた。もう少し空が青ければ言うことはなかったのだが……またこの場所で撮る機会があるだろうか。あと、35日。

我が目を疑う

 このところ台風やら何やらで中央線のダイヤも乱れがちだが、201系H7編成は毎日元気に走っている。

 さよならキャンペーンのカード集めを兼ねて武蔵小金井で降りて1枚。右手に見える上り線の工事もずいぶん進んでいる。

 小高い丘の上から、八王子〜豊田間の浅川を見下ろす。東京へと上っていくH7を撮って、駅への帰り道に電車区裏を通ると――

 ……!?
 
 さっき東京行きで上っていったのはH7。ということは、ここにいるのはH4――と一瞬思いかけたが、そんなはずはない。H4は、もうこの世にいない。目の前にいるのは、20分ほど前に浅川を渡っていたH7である。どうやら、何らかの不具合で41T運用を途中降板し、ここに帰ってきていたようだ。どこが不調なのか知る由もないが、あす以降走るのかどうか、非常に気がかりだ。

その日まで

 山から下りてゆく君を小高い丘から見下ろしてみたり――

 夜の駅に進入する君をカーブの先で待ち構えたり――

 深夜のお濠端にたたずむ君を遠くから見つめていたり――

 今夜のねぐらに向かう君を、家の近くで見送ったり――

 どんな形で君を見ていても、まだ信じられない。君が中央線を去る日が、すぐそこに迫っているということが。

すれちがい

 きょうは、夕方に多摩川へ行ってきたのだが――

 201系H7編成の下りが来たときに、上りのE233系が丁度やってきてしまった。しかし、これはこれで2枚とも狙って撮れるものでもないし、なかなか面白いタイミングですれちがってくれたと思う。「世代交代」の時期も終わりが見えてきたいま、悪くない結果だと思う。
 気が付けばアクセス数も120,000を突破しているのに、暇がなかったり書くネタが無かったりで更新が途絶えがちだ。連日多くの方が見てくださるのに、なかなか更新できなくて申し訳ない限り。

中央特快

 中央線のオレンジ色の電車。ブラックのマスクの下に燦然と輝く「中央特快」の表示がある。

 「中央特快」のネーミングは魅力的だ。4つの漢字を "Chu-o-tok-kai" と4音節で読んでしまう語感が速達種別にふさわしい。たまに、そばで写真を撮っている子どもたちが「ちゅうとく」と略しているのを聞いたりするが、こう略してしまうと全然速そうではないから不思議だ。

 E233系のLEDに出るブルーの種別表示も最初はインパクトがあったが、やっぱりこの巨大表示にはかなわない。

 もう201系が中央線を去る日まで2ヶ月を切っている。だがきっと、どれだけ歳月を経ても、自分にとっての「中央特快」はこの電車なんだろうと思う。