滞泊十選《1》〜大月〜

 その晩は飯田橋で知人とお酒を飲んでいた。
 夜になってから中央線のダイヤが乱れていたのだが、23時過ぎに飯田橋を出るころ知り合いからのメールを見ると、201系H7編成の運用が73Tとのことだ。とりあえず中野まで行くと、すぐにH7が中央特快で下ってきた。なんとなく家に帰りたくない気分で、そのまま大月まで乗ることにした。

 大月到着は深夜1時10分。もちろん帰れる電車はない。4番線に到着した201系H7編成は、翌朝5時36分の中央特快東京行きで折り返すまで、この場所で眠る。

 時は2009年7月。少し肌寒いのさえ我慢すれば、時間はたっぷりある。いつも201系の走っている場面を撮っているが、たまには寝顔を撮ってみるのも楽しい。高尾寄りの踏切から撮ったり、甲府寄りの歩道橋から撮ったり、ひとしきり楽しんだところで少し疲れが出て駅舎で一休みした。駅舎は一晩中開いていた。朝4時前から活動を再開、少しずつ白んでくる山の稜線をバックに、目を覚まして準備を始める電車の姿を撮り続けた。このときの模様は以前にご紹介している

 夜に仕事を終えた電車が、駅などで翌朝までひと眠りすることを「滞泊」という。ブログなどでは船に使う「停泊」という表記も見かけるが、辞書を引いてみると元は「碇泊」から来ているようで、鉄道に使うのはおそらく誤用だろう。
 それはさておき、この「滞泊」の場所が多いのも中央線快速電車の特徴だ。201系の記録をするなかで、各地の滞泊風景を撮ることの面白さをこのとき再発見した。これから10回にわたって、中央線201系の滞泊の記録をご紹介していきたいと思う(更新は随時)。