孤独の7

 2006年12月26日、E233系のデビュー初日の最初の電車に乗った。

 5時10分に豊田を発車。H43編成の3号車に乗り、各駅停車東京行きで上っていく途中、国分寺でドア故障が発生。ちょうど私の乗っている車両のドアが開かず、ホームにいた乗客が困っていた。ほどなく復旧したが、数分遅れで緩行線を上っていると、信濃町停車中に201系が轟音を立てて快速線を通過していった。「ああ、今はこいつが孤独で周りは全部201系だけど、いつか逆になる日が来るんだな……」と思ったものだった。

 「E233系の孤独」から3年半。最後に残され、E233系の中で孤独を味わうことになった201系はH7編成だった。

 もしかしたら、と思って未明の武蔵小金井に行ってみたら、H7はかつての孤独の主と肩を並べて寝ていた。

 H43とH7。「最初の孤独」と「最後の孤独」の編成は、ほぼ同時に目を覚まして出発の準備を始めた。

 E233系と201系の「共存共栄」の期間は、当初思っていたより長かった。しかし、いよいよ終わりが見えてきた。

 いい意味で、いろいろと予想を裏切られた3年半だった。なんだかいつまでも今の風景が続いて、201系とE233系が一緒に中央線を走り続けるような気がしてしまっている。しかしそれは幻想にすぎない。とにかく最後の日まで一日でも多く走ってほしい。オレンジ色の電車の元気な姿を見るのが、私にとって一番の元気の源だ。